1988年晩秋のDUBLIN

87〜90年の3年海外放浪1人旅話の続き。おヒマな時に良かったらどうぞ。興味がない方はここからスルーしてください(笑)

87年4月末に初めて飛行機に乗って(しかも片道チケット)で出掛けた初めての海外。20歳になったばかりの若造は、当初英語もろくに話せずに知り合いも皆無。今考えればむちゃくちゃな事だけど、それでも何とか自分で稼いで無事に3年過ごせたのは数々の出会いと助けがあったから。

特に旅の出発点に選んだアイルランド首都ダブリンの学校での出会いは特別なモノ。

アイルランドに行く事にした経緯はまたの機会にするけど、都合4回滞在した中で (と言っても1年に3〜4週間ですが…) 想い出深いのは最初の時と、スイスの冬仕事からフランスChamonixで山三昧の夏を終えて次冬のスイス労働許可書申請に必要な書類を取りに向かった、放浪生活2年目の1988年晩秋

その時に出会った仲間とは一緒に郊外へ出かけたり、パブで飲み明かしたり楽しい時間を過ごしたけど、古い街や公園を散歩&お茶しながらした”様々な話“が今でも脳裏に焼きついてる。全てが自由だけど不明確な日々の中で、もがきながら探し見つけて感じてきた事/これから先への思いなど、自分を飾る事なく思いのままを話し合えた。

その後も旅先で手紙のやりとりをしたり、ヨーロッパを離れネパール向かう前に実家まで遊びに行ったりもした。スイスでの仕事が苦しかった時も手紙が本当に心の支えになった。何かしらが少しでもズレたり違っていたら、きっと出会えなかったハズの仲間達。今の店も同じですが、ご縁ってほんと不思議で有り難いです。


山籠り時より小綺麗な格好+長髪始めたばかり当時21歳の若造@Irish-Pub’88(笑)

余談だけど、仕事で稼いだと言っても学費とホームステイ代を出すのは結構ギリギリ。昼食後のお茶代とパブでのギネス代を捻出するのに、ダブリンのお昼は毎日手作りジャムサンド&特売りんご、朝以外の片道10km移動は全て徒歩(最終バス乗り損ねて夜中歩いて帰ったことも…危ないので良い子は真似しない様に)いつもジリ貧だったけど、最高に楽しかった〜

帰国後暫くしてからお互い音信不通になっていたけど、数年間にSNSで再会。こう言う時のテクノロジーはすごいね。感謝!
しかし、改めて見ると”アナログなフィルムの写真はやっぱり良いな